子どものための哲学inハワイ。
2016年 03月 02日
子どもが哲学する、その現場に行ってきました。
「子どものための哲学」。それは古くて新しい問題。
小生が大学院生の頃、指導教員のI先生に、リップマン
の主唱する前述のテーマを分析してはどうかと勧められました。
結局、小生は、自身で判断して法教育研究を進めてきた
のですが、もちろん、リップマンにも関心がありました。
現在、GK専門学校に勤めているF先生が
本格的に研究されていましたが。
その現場に立ち会うことになろうとは。
まずは、写真から。
「子どものための哲学」は、いろいろなバリエーションから成り立つ。
示した写真の授業は、「黒人が学校に登校することを拒否する事例」。この事例に
含まれる「問題」を考察していく。そして、「ボンボン」を円形になった子どもたちの間
で「投げ合い」、発言を求める。
「子どものための哲学」の意味は、「課題発見」である。
何が課題なのか、どのような課題を探求するべきなのか、子どもたちに投票させる
ところからスタートする。そのため、小さい白板に子どもが追究したい問いを示す。
そして、投票にかける。
その問いに対して、子どもたちが意見を言い、質問を出す。そして、質問に答えてほしい
子どもに「ボンボン」を投げる。授業の最後に、今後追究したい問いを書く。
この学習プロセスの中で発揮するのが「定式化された問い」。
そして、子どもたちは回答に奮闘する。
「子どものための哲学」では、「課題発見」「課題づくり」がキーポイントになる
と思いますが、上の学年になれば、「課題発見」「課題づくり」までの下準備に
時間を費やすようです。
まあ、そうでないと、質の高い課題にはならないので。
当たり前だと思います。
今回の旅程では、「探究」学習のあり方のヒントをもらった気がします。
また、小生は以前にもハワイを訪れています。その際は、ピア・メディエーション
の調査でした。ハワイは、本土と比べて、ピア・メディエーションも熱心ですし、
「子どものための哲学」もがんばっています。なぜハワイなのか?なぜ本土で
はないのか??
ハワイ独特の事情がそこに隠されていそう、そう思ったハワイ出張でした。
「子どものための哲学」。それは古くて新しい問題。
小生が大学院生の頃、指導教員のI先生に、リップマン
の主唱する前述のテーマを分析してはどうかと勧められました。
結局、小生は、自身で判断して法教育研究を進めてきた
のですが、もちろん、リップマンにも関心がありました。
現在、GK専門学校に勤めているF先生が
本格的に研究されていましたが。
その現場に立ち会うことになろうとは。
まずは、写真から。
「子どものための哲学」は、いろいろなバリエーションから成り立つ。
示した写真の授業は、「黒人が学校に登校することを拒否する事例」。この事例に
含まれる「問題」を考察していく。そして、「ボンボン」を円形になった子どもたちの間
で「投げ合い」、発言を求める。
「子どものための哲学」の意味は、「課題発見」である。
何が課題なのか、どのような課題を探求するべきなのか、子どもたちに投票させる
ところからスタートする。そのため、小さい白板に子どもが追究したい問いを示す。
そして、投票にかける。
その問いに対して、子どもたちが意見を言い、質問を出す。そして、質問に答えてほしい
子どもに「ボンボン」を投げる。授業の最後に、今後追究したい問いを書く。
この学習プロセスの中で発揮するのが「定式化された問い」。
そして、子どもたちは回答に奮闘する。
「子どものための哲学」では、「課題発見」「課題づくり」がキーポイントになる
と思いますが、上の学年になれば、「課題発見」「課題づくり」までの下準備に
時間を費やすようです。
まあ、そうでないと、質の高い課題にはならないので。
当たり前だと思います。
今回の旅程では、「探究」学習のあり方のヒントをもらった気がします。
また、小生は以前にもハワイを訪れています。その際は、ピア・メディエーション
の調査でした。ハワイは、本土と比べて、ピア・メディエーションも熱心ですし、
「子どものための哲学」もがんばっています。なぜハワイなのか?なぜ本土で
はないのか??
ハワイ独特の事情がそこに隠されていそう、そう思ったハワイ出張でした。
by yasuhirohashimoto
| 2016-03-02 00:00
| 研究のこと