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筑波大学附属中学校研究大会

過日、同校の研究大会に参加してきました。

同校の研究部長である、館潤二先生は法務省の法教育研究会でご一緒していましたし、拙編著本『“法”を教える』にも原稿を寄稿していただいています。

その館先生が「憲法の精神を持つ主権者を育てる」授業づくりに関する研究授業と研究発表をされるというので、楽しみにしていました。

午前中は、京都大学の土井真一先生による「『みんなと共に自分らしく生きる』ための教育」と題する講演。

午前から午後にかけて、研究授業2本。

①関谷先生・歴史的分野「天皇の権威と江戸幕府の政治」
②館先生・公民的分野「『普通選挙の拡大』から学ぶ」

午後から夕方にかけて、館先生による前述した研究発表・質疑といった流れです。

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ここでは研究授業①を取り上げます。

導入「江戸時代の日本の中心はどこだったのか」(江戸が中心なのか、京都が中心なのか、その理由を人口数などから子どもたちに判断させる)

展開1「幕府の役人が作った地図は現在の地図のどのような違いがあるのか」(江戸ではなく京都を標準子午線がしかれていた)

展開2「江戸時代、天皇の『力』はどうだったのか」(天皇の権威の移り変わりを予想したグラフを出し、そのように移り変わった理由を子どもたちに発表させる。また幕末の頃、天皇と将軍の権威が逆転したことについてその背景に気付くよう指導する)

展開3「天皇の権威はなぜ高まっていったのか」(幕府内でも天皇の権威が高まることに対する警戒感があったこと、大嘗会が江戸中期に復活していたことを踏まえ、ききんや打ちこわしの発生など幕府の権威が失われていったこと。相対的に天皇の権威が高まったことを理解させる)

まとめ:天皇の権威が高まる背景には幕府の政治が動揺したこと等があることを理解させる。

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展開2では、「鳴物停止令」(将軍・大御所の死の方が天皇・上皇の死よりも停止期間が長い;将軍の権威が高いことを指す資料)「禁裏御料(皇室の所領が少ないことを示す資料)」「1787年における幕府に対する1500石の救い米が行われた経緯(ききんで苦しむ人たちが御所を取り囲んでおり、その人たちを救うために幕府が米を提供できないか、そしてそのことを朝廷から幕府に指示できないか検討されたこと)」等、10の資料を用いて、将軍の権威と天皇の権威の「力関係」の移ろいを子どもたちに説明させようとしていました。

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指導案の流れ;大きな問い(導入や各展開)の流れは、スムーズに感じられたので、授業を楽しみにしていましたが、いざ授業を拝見すると、それぞれの展開の「小さな問い」の流れがスムーズでなかったために、大きな問いでそれぞれの展開の「めあて;考えるべき問い」を子どもが確認しておきながら、展開の「めあて」とどうつながるのかわからない話が色々と出てきて、結果として子どもは「めあて」に到達しづらい授業になっていました。

また、資料も多く(展開2)、子どもたちが同時間ですべて読み解くことができていないし、そもそもグラフ(折れ線グラフ)で天皇と幕府の権威を比較すること自体に無理があること等、課題が多い授業でした。

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内容的には、知的レベルも高く、資料も見たことのないものがあり「面白い」授業だと思います。指導案の流れ:大きな問いの流れは、スムーズなのだから、小さな問いの流れをうまく組み立てれば良いということです。また、「権威がどちらが上か」といった「曖昧な」問いではなく別の取りを立てて授業を組み替える必要もあると思います。

いつか、本学の学生に「修正案」を教授書形式で作ってもらおうと考えています。
by yasuhirohashimoto | 2006-11-23 17:38 | 研究のこと

福井大学教育学部の社会科教育学担当者が日々感じること、研究のことなどを気の赴くまま記しています。


by yasuhirohashimoto