後期講義も終わりにさしかかり。
2008年 01月 31日
以前R大学で非常勤をしていた時には「試験」を科していたのですが、、、現在のように指導案作成のグループ学習を講義の中で組み入れるようになってからは、作成した指導案・指導資料を各自が「修正」したり、講義を振り返ることを「レポート」としてきました。
「レポート」にした理由は、私の講義の場合、他講義と比較して学生にかかる「負担」が大きいような気がしたので。私の講義は「ハード」ではないかと思うようになったから。宿題は毎回出るし(「公民科教育法Ⅰ」;「テスト問題を作ってこい」という課題もありましたね)、初めて指導案を作成するのにいろいろな条件(「なぜ発問」で、「歴史資料」を読み解く授業等々)をつけられるし(「社会科教育法Ⅰ」)、まぁ、それもこれも「良い社会科指導案」を作れる「良い社会科教師」になってもらいたいという「親心」からなのですが(苦笑)。
そんな講義も、今週火曜日から「試験週間」に入りました。例年「試験週間」に入ると講義をせず、「レポート作成のための自主学習」としているのですが、今年は、出張する機会があり休講が多かったので、今週もずっと講義。来週も「補講」をします。
本学は来週月曜日から水曜日までは「特別補講日」。ただ、学生さんに聞いてみると「集中講義」が入っているとのこと。これっておかしいですよね。事実上「補講」ができなくなる訳ですから。ですので、「特別補講日」が終わった金曜日に「補講」を入れることになりました。
学生さん、「もう少しおつきあい下さい」。
福井法教育研究会(200801)
2008年 01月 28日
今回の中心議題は、2月1日に本学附属小学校で行われる白木一郎教諭による授業の検討でした。
白木先生は、「法教育」授業について様々な展開を考えられてきておられて、これまで「正義(配分・手続き)」や「ルールのランキング」「『背の順ルール』の検討」等を考案してきました。
今回は「責任」に関わる事例を実践する予定。「責任」のうち、友達と約束をしたことを守る「責任」を果たすべきなのか、路上で泣いている子どもを助ける「責任」を果たすべきなのか。「責任」の葛藤場面を設定し、どちらの「責任」を果たすべきなのか。その理由は何かについて子どもたちに吟味させる授業(2年生)を想定されています。
議論では、この場合の「責任」は法的責任というよりも道徳的責任の範疇に入ること、また、「法的な視点」を授業に組み入れる場合は、「責任を果たさない場合の重大性」と「代替性(責任を果たすべき人が一人なのかそうでないのか。果たすことができる人が他にいるのか)」といった点が想定されること。この二つの視点は座標軸として構成可能であること 等について意見が出されました。
そもそも、「路上で泣いている」だけではよくわからないですよね。「なぜ泣いているのか」その理由次第で、責任の軽重が変わってきます。小学校2年生を対象としているので、「責任」という言葉自体、わからない。また、先生や保護者が言うことが「絶対」である対象学年です。「相対化」できるのか(比較できるのか)。課題はありそうですが、1年生で「ルールのランキング」が出来たことを考えれば、比較・考察は「問題ない(可能である)」とも思えます。
いつもながら白木先生のチャレンジ精神には頭が下がる思いです。
また、研究会の最後に、「模擬裁判選手権(甲子園)」福井県予選を考えていることが報告されました。昨年8月に実施した大阪・東京大会は好評でした。今年の大阪大会に「福井県代表」を送り込むということです。これも楽しみですね。
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1週間、ブログを更新していなかったのですが、昨日ある会議でお会いした、E大学のO先生から「ブログを更新していないから、体調不良が続いているのではないかと思った」と言われました。「ご覧になっているのですね」(苦笑)。風邪は随分良くなっていますのでご安心下さい。
センター試験。と風邪。
2008年 01月 21日
二日間、諸業務に関わりました。
学生も疲れるでしょうが、こちらも緊張し、疲労困憊。
渡米から帰国した後、渡米後半に「やっかいな風邪」をひいてしまい、
帰国すぐが体調最悪だったのですが、
日本に戻ってしばらくたっても、ずっと尾を引いています。
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私の場合、風邪をひくと、市販の薬(例えば、ナ○ン・エース)とドリンク剤(例えば、ゼ○)を併用し、後はイチゴをたらふく食べると一日・二日すれば完治するという、「安易な体」だったのですが(苦笑)。
今年は良くならないですね。
今年の風邪は治りにくいのか?
もしくは私が年をとっただけなのか??(苦笑)
しばらく土日は入試関係業務が入りますので、お休みはなし。
皆さんも体調管理にお気を配ってください。
渡米報告⑥(オハイオ州・ケンタッキー州)
2008年 01月 19日
毎朝、ホテルで食べる朝食もメニューは複数あるが、同じような食べ物ばかり。
少し食傷気味。
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さて、コロンバス三日目は、午後からオハイオ州教育局訪問。
食事が終わり次第、午後からの「打ち合わせ」。
オハイオ州教育局を今回訪れたのは、オハイオ州社会科カリキュラムを研究されているH大学のY先生のご希望。ただ、12月の「事前打ち合わせ」の際に、オハイオ州社会科カリキュラムについて勉強会を持ち、その概要を知るにつれて、「五人組」も関心を高めたようです。
今回ヒアリングしたのは以下の方々から。
□William.J.Muthing(カリキュラム・指導・評価部門・社会科担当指導主事)
□Donna Nesbitt(同部門長)
□Thomas D.Rutan(同部門次長)
主には前述のお二方から。オハイオ州教育局社会科カリキュラムの特徴と概要について。また、同カリキュラムに準拠した教科書の有無や、指導資料の作成に関して。また、同部門の教員養成への関わりについて質問をしました。
ヒアリングの中で、同カリキュラムは、全米でもオリジナリティのあふれるカリキュラムであること。その理由は、K-12の配列の特徴として、シークエンスに地理的アプローチと歴史的アプローチを採用しその「接合」の上で、最終的に11学年から「公民」を学習する構成となっていること。このようなカリキュラムの特徴を持つ州は、サウスカロライナ州他、いくつかだけであること。そのため、完全に準拠した教科書は存在せず(アメリカの教科書は生徒個々に配布するというよりは、長い間教室で使用する資料集的な役割を持っているので、販売部数を考えれば、教科書会社は全米共通仕様にしますよね)、全米共通仕様の教科書のオハイオ州における指導資料等のみ存在すること等について伺いました。またスコープとシークエンス両方に存在する「歴史」について、突っ込んだ質問をしました。「どちらが“本来”の歴史なのか」「両方だ」との回答。同州の場合、例えば、歴史をシークエンスに、スコープを歴史や社会諸科学を配置することで、それぞれの「学問」を歴史アプローチで学ぶ。そうすることが、すなわち、政治を学ぶことになり、経済を学ぶことになる。そのさいたるものは、憲法。憲法修正条項がどのような状況下で増やされたのか、どのようなプロセスが原因で現在のような合衆国の諸制度が構築されてきたのか。歴史アプローチで学ぶことで初めて憲法の本来の意義を理解することができるようになる。
N大学のK先生が常々主張されている「地理や歴史で公民は『代用』できる(地理や歴史はもっと公民らしく構成可能である)」を体現したカリキュラム。K先生はヒアリングの後、自分自身のご主張の「裏付け」がとれご機嫌でした。
ただ、日本はそうはいかない。憲法は、アメリカから「付与」されてもの。歴史アプローチではその内容(意義)を学ぶことには限界がある。同様、政治や経済システムについてもそう。
ヒアリングを終えての私の感想としては、同カリキュラムの「公民」学習とそれ以前の地理的アプローチや歴史的アプローチの学習との「関連性」が少しわかりにくかったですね。この点を質問すれば良かったなと日本に戻ってきて反省。

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「五人組」は教育局訪問を終えて、今回の渡米の「仕事」を終えました。
最終日は、イタリアンを食しに、ショートノースへ。
少し高めのワインを奮発し、パスタ・ピザ等々を平らげました。
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翌日は帰国の途へ。多少雪が積もっていたので、飛行機がディレイするのではと思っていたのですが、無事オンタイムで出発。無事関西空港に到着し、お互いの今後の研究の発展を祈って、解団となりました。
今回の渡米は、今までのように、法関連教育の教材収集や教材作成者のヒアリング等のための旅とは異なり、「異分野」の研究旅行。勉強になりました。諸先生方には大変お世話になりました。ここにお礼申し上げます。
渡米報告⑤(オハイオ州・ケンタッキー州)
2008年 01月 15日
5日目は、オハイオ州立大学図書館で調べ物をした後で、コロンバス・ダウンタウンの「科学博物館」へ。前日、米田さんに紹介頂き、科学技術を子どもたちにゲーム感覚でそのテキストを伝えるといった工夫がされている館。「5人組」が前日から訪問を楽しみにしていました。実際は、「質量保存の法則」や「フーコーの振り子」、「DNAの秘密」等を取り上げていました。N大学のK先生曰く「社会科学でもこのような博物館が作れないものか」「イギリスの紙幣博物館は前述の目的に叶う作りになっていた」とのこと。いい年をした「5人組」が童心に返り、楽しんでいました。

夕方からは「ギリシャ料理」の店に行きました。コロンバス一の「ギリシャ料理」のお店らしい(といっても数軒しかないのですが;苦笑)。料理は全般に美味しかったのですが、デザートはいただけなかったですね。私が数日前に誕生日だったこともあり、「お祝い」いただきました。ここにお礼申し上げます。
渡米報告④(オハイオ州・ケンタッキー州)
2008年 01月 15日
当日は、午後からコロンバス郊外の「日本語補習校」訪問。同校は、義務教育段階500名弱の「大規模校」です。通常、日本から遠くアメリカ合衆国で仕事をされている方々のお子さんは、ローカルスクールに通います。ローカルスクールに通うこと自体は、「多文化」に触れる良い機会でありますが、しかし、早晩日本に戻ること(2~3年で戻られる方が多いようです)を考えれば、お子さんがアメリカに「どっぷり」浸かる訳にはいきません。例えば、お子さんが数年ローカルスクールに通えば、日本語がわからなくなる。ちょっとした日本語表現が出てこない(例えば「閉所恐怖症」が「狭いところで怖がっている」と翻訳し間違えるようです)。また、日本に戻った折、日本の学校での学習についていけなくなる恐れがあります。「日本語補習校」はそういった日本へ数年で帰国する日本人の子どもたちが“ニホン”に触れる機会を毎週土曜日に提供しています。
当日は、寺河教頭先生に対応いただきました。社会科の授業を拝見した後で、「日本語補習校」の実情について質疑応答を行いました。お伺いした話のうち、社会科に関する問いは、「『日本語補習校』で必要な教科書はどのような構成なのか」「どういった専門性、経歴を持った教員が社会科を教えてるのか」等でした。教頭先生は、「日本語補習校」では、時間に限りがあり、教員は以後の学習にうまくつなげることが出来るのかどうかが一番大事な要素として考えていること。なので、「基礎・基本」を重視した教育(知識面で)が大切と考えており、特に現在の「学び方や調べ方の学習」「作業的・体験的な学習」は困難であることを主張されていました。

夕方からは、コロンバスの有名店「ハイク」で「和食」を共にしながらの食事会。食事会への出席者は、オハイオ州立大学で「教授・学習過程」について研究されている物部さんと、同大学で教員養成について研究されており、「日本語補習校」に勤務されている米田さん。他は「5人組」。物部さんは、アメリカの大学での社会科教育での就職を希望されており、また米田さんは日本での就職を希望されています。就職に関わる話、オハイオ州立大学の社会科教官の研究の話、教員養成教育についての話等で盛り上がりました。

(画像は、「ハイク」のある、コロンバスの「繁華街」ショートノース周辺です)
久しぶりに日本のビール(サッポロ)を飲みました。やはりアメリカのビールは薄い。飲み応えがない。数杯飲んで、すぐに酔っぱらいました(苦笑)。食事会の後、ホテル一階のラウンジで二次会。普段はお酒を飲まないN大学のK先生が、珍しくハイネケンを注文。すぐに気持ち悪くなったようです(苦笑)。
渡米報告③(オハイオ州・ケンタッキー州)
2008年 01月 14日
渡米三日目。
「乾燥帯」にあるレキシントン。夜、お風呂にお水を張って、眠ります。そうしないと、のどが渇きやすいから。とは言っても、そんなに効果がある訳でなく、基本的に3~4時間睡眠といった寝不足が続く(私の場合)。Tさんは相当疲れがたまっている様子。
■9時過ぎ。ケンタッキー大学にて、バートン教授・レビスティーク女史に面会。事前に送付したインタビューリストに沿って、質疑・応答。N大学のK先生中心(通訳してもらい)に話を続けました。「なぜ、今、方法研究なのか」「どのような選択基準で著者を選んだのか。」「アメリカの方法研究の現状はどうなっているのか」等々について、意見交換。「質的研究と量的研究の両立の必要性」や大学での教員養成での経験からの同研究の必要性(「学生が研究途中でなぜ、同研究をしているのか困惑している」を実感していること)、また、「よい研究の条件」として「先行研究を踏まえていること」「理論や方法論を学んでいること」「授業について一般的抽象的な議論ではなく具体的な議論とすること」等を取り上げて説明されました。日本の研究方法の現状についても意見交換。日本の研究方法(全社学の、といってもよいと思いますが)が授業研究を採用しており、アメリカ合衆国では決して「アカデミックでない研究領域」を扱っていることにお二人は関心を示し、評価していました。またアメリカで盛んな心理研究が日本でなぜ盛んでないのか等についても意見交換。とても有益な時間を過ごすことが出来ました。最後に両氏に本年中の渡日を要請(全社学が適当な時期に招へいすることになります)、快諾を得ました。昼過ぎまでの長時間にわたってのお二人のご協力に感謝いたします。

■夕刻、レキシントンからオハイオ州の州都・コロンバスへ移動。移動の機内で、以前茨城県の土浦市で宣教師をされていたアメリカ人とお話しをしました。同師は、41才の時に渡日し、日本語でしゃべることもあまり得意でなかったとのこと。もちろん書くことは全然ダメだった(今でもダメだそうですが)ようで苦労されたとのこと。1970年代の学校の荒れの様子や、当時の受験競争についてお話ししました。日本がとても好きで、ちょうど今、第二次世界大戦の日本の様子を描いた書籍を読んでいるとのこと。師曰く、
「同書は、公平な立場で書かれている・・・」
■夜、ホテルに到着。コロンバス・ダウンタウンに位置するホリデーインです。当初我々は同ホテルの評価が低かったので、どんなホテルか心配していましたが、快適に生活していますのでご安心下さい。

(写真はコロンバス・ダウンタウンの様子です)
渡米報告②(オハイオ州・ケンタッキー州)
2008年 01月 14日
■朝9時30分、バートン教授がホテルまでお迎えに。昨日親戚にお借りしたという、ミ ニバンで一路シンシナティへ。
レキシントンから、オハイオ州シンシナティまでは車で1時間30分。N大学のK先生がバートン氏の横でひたすら話をふる。シティズンシップ教育の話までしている。「明日話すことが無くなるのではないか」と心配するO大学のK先生。H大学のY先生と私は後部座席でのんびり。
■11時30分、シンシナティ大学に到着。シンシナティ大学のデウィット准教授、マイアミ大学のミスコ准教授、ネイラー・シンシナティ大学元教授と、大学院生のローパックさんと一緒に昼食を採る。大学の「学食」だったが、その広大さ、料理の多様性に唖然とする。私はネイラー先生とお話をさせていただきました。ネイラー先生は、オハイオ州法曹協会が作成した「ルールルールルール」他、小学校の法関連教育教材作成に長年携わってこられたシンシナティ大学法関連教育センターの元センター長。オハイオ州での法関連教育を1970年代から率いてきた方です。氏曰く「ファンドと政治的なコネクションが法関連教育の成長に貢献した」とのことでした。

■13時30分 大学近隣の高校でフレッカー先生による高校生を対象にした第一次世界大戦の背景とアクターを通して世界大戦を理解させることを目的としたアメリカ史の授業を見学。子どもたちが教科書やインターネットの資料を利用しながら、自分たちで報告するためのパワーポイントの資料を作成するといった「演習」型授業。「教科書を教える」ではなく「教科書で教える」を徹底した授業。発表場面での授業見学では無かったのが残念でした。なお、同授業は、第一次世界大戦を共通の内容として、社会科、科学技術、英語の各教科が「連携」した授業として位置付けられていました。発表場面に立ち会う子どもたちのベル着の「良さ」や授業へ向かう真摯な態度に一同びっくりさせられました。ベル着の「良さ」の謎の答えは以下の写真に隠されているようです。


■15時30分。バートン氏による「社会科教育特論」の授業見学。学部生を対象とした講義で、2008年度冬期1回目の授業。アメリカの女性の権利獲得に尽力したブルーマー氏を描いた写真や絵を比較・吟味させながら、それぞれの写真や絵を読み解き、学生さんに解釈させ、グループでその内容を吟味する授業。歴史は「解釈」であること、「解釈」が多元的であることを学生さんに意識させるとともに、歴史資料の授業場面での用い方、ひいては社会科歴史授業の作り方・あり方を概観させる工夫がされていたと思います。2時間20分の講義、綿密かつ密度が濃い授業でした。

■18時50分。バートン氏とともに大学近辺で中華料理を食す。
■20時過ぎ ホテルに到着。ここから事件発生。ホテルに到着すると、近くのコンビニにビール他を購入しに出掛ける、O大学のK先生やH大学のY先生と私。購入後、ホテルに戻る途中、雨がぱらぱら、少し急ぎ足で戻ろうとした三人。その瞬間に横なぐりのバケツをひっくり返したような雨量の「嵐」。これがストーム。日本では経験できないですよ。皆さん、ずぶ濡れになりました。
渡米報告①(オハイオ州・ケンタッキー州)
2008年 01月 11日
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渡米一日目のスケジュールは以下の通りです。
1月9日 福井を朝9時過ぎに出る。一路、関空へ。いつも通り、「荷物を少なめに」をモットーに、他のメンバーとは明らかに違う大きさ(小さいという意味)のスーツケースで。
新大阪駅での乗り換えでお会いしたO大学のK先生に「こんなに小さいケースで入るのか!」とびっくりされる。
その日は、新大阪駅で「駅構内への人の立ち入り」「尼崎駅での車内迷惑行為」で乗車する列車が30分以上遅れていました。渡米に暗雲。。
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関西空港で他参加メンバーである、H大学のY先生、N大学のK先生、H大学大学院のTさんと新大阪でお会いしたK先生を含め、対面。
同日のノースウエスト(NW)070便(デトロイトDTW行き)は、当初混み混みだったので、座席は真ん中席だろうと諦めていたのですが、通路側席を確保できており、ラッキーといったところ。
NW070(関空KIX13:30-DTW11:40)
12時間30分のフライトを経て、DTWに到着。ここからが暗雲たれ込めた今回の渡米らしく。
まずは、入国審査。なんと2時間待ち。とにかくDTWの検査官の少なさに対して、ビザなし渡航の人が多すぎる。次便まで3時間程度待ち時間があったのでよかったのですが。今後の教訓。
□DTWでの乗り換えをする場合は、相当の余裕ある時間を確保する必要がある。
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NW5891(DTW15:16-レキシントンLEX16:35)
今回はケンタッキー州レキシントンが第一の訪問先。レキシントン空港は、グリーングラス空港という名称を併せ持ち、その名の通り、空港周辺は青草。牧草地。いかにも馬産地といったところ。数々の名馬を生み出したのがケンタッキーです。あの「ケンタッキーフライドチキン」も「生み出された」ようですが。
ホテルの到着後、今回ヒアリングを行うシンシナティ大学のバートン教授にお迎えに来ていただく(夕食を共にとるため)。わざわざ今回訪問者5人全員が乗り込めるバンを親戚の方に借用されたらしい。感謝。
夕食は、同じくヒアリング対象のケンタッキー大学・レブスティーク教授とバートン夫妻、そして「5人組」でご一緒しました。日本の大学教育の現状(バートン教授は後期講義が2コマだけだとか・・・つかさず私は8コマですと答えました;苦笑)や次期大統領選挙等の話で盛り上がりました。
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さすがに「5人組」は丸二日間、起きていた(渡米の場合、渡米したその日の夜まで眠らなければ、ほぼ二日間起きていたことになります)ので、相当疲れていた様子。皆さん、早めに床に入られたようです。そんなこんなで一日目が終了しました。

御連絡。
2008年 01月 10日
渡米の様子は追々ブログにアップしていきます。
また、何か急ぎのことがあれば、hashimotoyasuhiro@hotmail.co.jpまで連絡下さい。
なお、1月16日には福井に戻っています。